メル友のお嬢さんから、「どんよりした空のした、我が家は「浅茅が宿」化してきました。
庭は草ぼうぼう!!!中々綺麗に出来ません。植物の力には負けます。」
と言う文章を貰いました。
浅学の私、「浅茅が宿」とは? なんとなくわかる綺麗な表現です。浅茅は「あさぢ」と読むのかな?そう言えば浅茅陽子という女優さんを思い出した。率直な物言い、爽やかで明るいお色気がある現代的な顔立ちです。
ネットで調べました。「浅茅」とはイネ科チガヤ属の多年草で、まばらに生え背丈が低い茅を言う。「浅茅が宿」となると、浅茅がいっぱい生えた荒れ果てた家、荒涼とした風景となるのです。
江戸時代の作家 上田秋成の「雨月物語」に収められている9編の怪異小説からなる短編集、そのなかに「浅茅が宿」があることを知りました。
「上田秋成」は高校の頃知った名前でしたが、そのころの時代の人の名前でなく隣に住んでる人みたいで親しみを持った記憶があります。残念ながら、本など殆ど読まない私にはその印象だけ残っていました。それこそ50年ぶりに出会った名前です。
1776年に発行された「雨月物語」これはなんとも奥ゆかしい漢字のタイトルで、これだけで内容が想像できます。いまさらながらですが、「上田秋成と浅茅が宿」で興味を感じた部分をまとめて見ました。
「浅茅が宿」は日本や中国の古典からヒントを得て書かれたもので、時は鎌倉時代。場所は下総国葛飾郡真間の里。下総の国にしばしば通う商人が、聞き伝えて語った話が基になってるのだそうです。
男の夢と野望、女の夢と愛そして貞操。人間の美しさと愚かさ、戦いの虚しさ。人間の果てしない夢とこの世の無常さを描いた物語で、暗く悲しく、儚く消える内容です。
とは言え、詠む方は段々引き込まれ、無常で悲しい中に癒しが得られるから不思議です。今で言う癒し系の物語だと私は感じました。人はひとの不幸な話を聞いて癒され、喜ぶのでしょうかね。
*秋には帰ってくると下総から京に出た夫、勝四郎。それを信じ、けなげにひたすら待った妻、宮木。約束は果たされず7年が過ぎた。妻は、この戦乱の中、もう生きては居ないだろう、ならば墓を造り弔ってやらねばと思いながら5月のある日故郷へ帰るのでした。
妻、宮木はすれ違う人が振り返って見るほど美しく、気立てが良く賢い女。男どもがその美貌に惹かれ言い寄ることも、しばしばあったが、これを退け、心細くも気丈に一人で夫の帰りを待ちわびたのでした。7年後に帰郷した勝四郎は、目は落ち窪み、髪はぼさぼさで、昔の美しさはなく、ひどく歳をとった妻の声でしたが、元気な妻に逢えて小躍りして喜ぶのでした。
積もる話に二人は涙しながら一夜が過ぎた。夜が明けて見れば、そばに居ない宮木、昨晩の妻は約束の秋が来て次の年の8月10日に死んでいた宮木の幽霊でした。浅茅がいっぱい生えた荒れ果てた家で、夫の帰りを待ち続けた女の悲しい愛の果てであった。
哀しい愛の、まさに「廃墟の美」です。
近所の老人が見取り、塚を作ってくれたのですが、そこには、宮木の辞世の句、
「さりともと 思う心に はかられて 世にもけふまで いける命か」
(約束した秋にはきっと帰っていらっしゃると信じ、いかにも今日まで この世に生きながらえた我が命であることよ。生きていたいと思い続けてきましたが・・・・)
とあるのでした。
勝四郎は間違いなく妻は死んだと知り、塚を抱き、大声を上げて泣き伏したのでした。
老人から宮木の話と土地に伝わる「てなご」の話を聞き、勝四郎も句を詠んだ。
「いにしへの 真間の手児奈を かくばかり恋てしあらん 真間のてごなを」
(昔いたという真間の手児奈(てごな)を、私が宮木を愛したように、昔の男も愛したのだろう)
上田成秋:1734年、私生児として生まれ、5歳で天然痘に罹り指が不自由になる。医者もやっていた。晩年失明し片目をなくす、不遇に生きた天才です。
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